マルイチが創業した当時の長野県の人々は、海がないため新鮮な魚は食べられないとあきらめていました。
しかし、マルイチは「駅が港だ。長野駅へ向かう貨物列車は、大漁旗を立てた船だ」と考えたのです。
いつ、どんな荷が駅に着くかという情報を、どこよりも早く手に入れ、夜中でもトラックを走らせて、時間のロスなく県内の市場や小売店に運ぶ。
鮮度にこだわったマルイチの魚は多くのお客さまに喜ばれ、売上を伸ばしました。
大雪のなか、日本海でとれたサバを東京の築地へ出荷したという逸話も残っています。

マルイチの創業者である仁科良雄は、マルイチの前身である「長野中央卸売市場」の創立時に、「5年間で競争相手を追い越す」という目標を掲げました。
誰もが不可能だと思った目標は4年で長野市最大の魚市場になったことで達成。
創立10年で長野一の魚市場という次の目標も、1960年の創立10周年記念までに実現できました。
比べて競って追い越せというDNAが、社員一人ひとりの胸に刻み込まれていたからこそ、夢のような目標が現実となったのです。

1971年

「マルイチ電算化元年」の到来
1971年、マルイチは時代に先駆けて業務に電算機(コンピュータ)の導入を決定しました。しかも、ソフトウェアは自社で開発したのです。「企業は生き物である。その場に即したソフトウェアを組んでいかないと、電算(ハード)と現場(ソフト)が離れてしまう」と考えたからです。当時はまだソフトを自社開発することは大きなリスクを伴う決断でしたが、マルイチの「やりぬく力」は、情報技術分野でも発揮されました。

1977年""

馬肉の輸入によりカナダ大使館から表彰
マルイチの畜産部が産声をあげたのは1966年のことでした。当時の部長は、長野県で馬肉が盛んに食べられていたことに着目して、安くて美味しい馬肉をカナダから航空便で輸入しました。「輸入の馬肉なんて売れない」周囲の反対を押し切って仕入れた馬肉は大好評で、県内で70%のシェアを得たのです。1977年には、馬肉の輸入で産業に貢献したとしてカナダ大使館から表彰され、感謝のメッセージを受け取りました。

1986年

「株式会社マルイチ産商」に社名変更
食品総合卸としての業態を確立したことから、「長野中央市場」から「マルイチ産商」に社名変更しました。マルイチは業界で通称として使われてきた屋号。産商の産は地域に根ざした産業を、商は情報ネットワークを駆使した商社機能を表しています。「今までの卸売業という限定領域での成長発展を考えるのではなく、流通全般の領域で、より社会に貢献できるような企業創造」を目指したのです。

天候や水揚げに関わらず安定した供給を実現するため、マルイチはブリの養殖を手掛け、「海の匠」というオリジナルブランドを立ち上げました。良好な環境と厳選された餌で育てた新鮮なブリを最高の状態で食卓に届けるため、水揚げ後の加工処理にもこだわっています。そこには、水産を知り尽くしたマルイチならではの技術とノウハウが活用されています。
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